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奄美大島の田舎で慣れない農作業

素人農業あれこれ

都会人は田舎暮らしで寂しくなるか?

 奄美で始めた慣れない農作業も、少しずつ要領を覚え始め、野菜や果樹の面倒を見るのがなんとなく楽しくなって来ました。と言っても、冬場ですので、やってることは主に「山仕事」がメインになります。

畑が有るとはいえ、作物を市場で売るような本格的な農家ではなく、ほぼ嫁さんの趣味で育てている野菜・果樹なので、基本的に気が向いた時だけ作業するというパターンですから、その点では気が楽です。まあ道楽の一種かも知れません。

山の畑 農作業 海のアオサ

畑を包囲するかのような山の急斜面の雑草・雑木をすっきり刈り取るのは、かなり太い木もあったりするので、やはり男手が必要になります。暑くなってくると山作業は大変ですので、寒い季節の間になんとか片づけておきたい。


伸縮梯子や電動ノコを駆使しての作業も捗り、畑もずいぶん明るくなってきました。ハブには注意していますが、鬱蒼とした藪に踏み込む恐怖も薄れてきて、山に入るのも慣れてきたからでしょうか。


もちろん意味もなく自然破壊しているわけではなく、伐採した所にはあとで蜜柑樹などを植林します。

食卓には毎日青菜が

慣れている人には当たり前のことでしょうが、ゴマ粒みたいな小さい種を蒔くと、それがニョキニョキ芽を出し、だんだん大きくなって、いつの間にか野菜になる。僕はそれがとても不思議な感じです。植物の成長がこんなに楽しく嬉しいものだとは知りませんでした。

菜の花などは、最初ただの雑草だと思い、踏んづけたりして注意されました。それぐらい無知だったということです。


小さいながら春菊や小松菜も成長し、

食べられるまでに。

もうすぐブロッコリーや大根も食べごろになるでしょう。その次はエンドウ。毎日採りたての野菜が食卓に出てきます。嫌にはなりません。年齢のせいなのでしょうか、昔より野菜が美味しく感じるからです。

田舎暮らし

南の離島、奄美大島。その奄美のはずれにある田舎の集落。周辺には店の一軒もなし。あるのは海と山のみ。

ときどき東京のメカニカルな街なみとか、行きつけだった飲み屋などの喧騒を思い出すことがあります。飲み仲間達との馬鹿話などが懐かしい。

これはホームシックみたいなものだろうか? 慣れ親しんだ街に戻りたいという感情がどこかにあるのか?

そんな自問をしてみますが、こういう問いかけに答えを出すのは、就寝前が一番良いと思います。

寝る前に寂しくなるか、寂しくならないか
その答え次第でしょう。

都会は確かに楽しいことが沢山ありました。でもそれはほとんどが「外で」での話です。外で何をして楽しもうが、やがて家に帰り、一人で寝る。

ドアの外は大都会で、大勢の人間の喜怒哀楽が交錯し、夜も昼もない。だからこそ逆に独身の人間は就寝前の寂しさと孤独感が強くなるのではないでしょうか。「すぐ近くに膨大な人間がいるのに、自分は一人だけ」

都会に慣れた人間が田舎に住むと寂しくなるか?
そんな問いかけに意味はありません。寂しくなる人は都会に戻ってしまうでしょうし、そうでない人は地元民みたいになって動かないでしょう。こういうのは「人による」としか言いようがないのですから。

最近の僕は夜の8時には寝てしまうので、寂しいとか考えてる暇がありません。風呂や夕食が済むと布団に入りたくなり、布団に入るともう眠くてたまらないのです。これでは飲み屋どころではありません。

「それじゃ老人だ」と笑われたら、「そのとおりだよ。もう年だし」と答えていますが、自分的には気分爽快というか、日に日に健康になり、東京にいたときより体力が増して若返っていると内心では思っています。

奄美のアオサ

奄美での楽しみの一つに「春先のアオサ採り」があります。
アオサは正確には「ヒトエグサ」なのでしょうが、青のり粉の原料の一つである海藻です。浅い海の岩場などに生息というか付着しています。

奄美には遠浅の海岸が多く、2月、早ければ1月後半あたりからアオサを採集している人をよくみかけます。

採ったばかりのアオサを味噌汁や吸い物に入れると、なんともいえない良い匂いがします。まさに潮の香り海の香りで、乾燥品のアオサにはありません。新鮮な生のアオサだけの特別な芳香です。

今年は暖冬すぎたからでしょうか、沿岸のアオサももうひとつ元気がないですね。寒さが厳しい冬ほど良いアオサになるそうで、すこし残念。



それにしても海が綺麗です。日照の少ない冬場でさえこの透明度。

誰もいない海岸に立って、この透明な海を海を眺めていると飽きることがありません。頭が空になり、何も考えることなく海だけを見る。ようするにストレスというものがまったくなくなるのです。

この環境を捨てて、『渋滞だらけの道でイライラしながら営業車を運転したり、混雑の限度を越えた電車に乗ったり、虚飾としか言えない繁華街の喧騒を外に感じながら、疲れ果てているのになかなか寝付けない夜のベッド。』そういう暮らしに戻る気は今のところゼロです。

つまり、今の僕は寝る前に寂しくなるような事はないのです。

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